次は、アンデルセン童話「マッチ売りの少女」です。

作者は、貧しい少女時代を過ごした、自身の母親をモデルに作品を生み出したと言われています。

このお話を皆さんは、どう読み解くでしょうか?
ご存じの方も多いと思いますが、簡単に、あらすじを書き出してみましょう。

あるクリスマスの日、1人の少女が道端でマッチを売っていました。

「マッチはいりませんか?マッチを買ってください」

暮れも押し迫った慌ただしい街並みに、少女の消え入りそうな声が小さく呼び掛けます。

「お願いです。マッチが売れないと、家に帰れな・・・あっ!」

少女の父親は、仕事もせずに家でお酒を飲み、少女がお金を持っていかないと家にも入れてくれないような人でした。

少女は必死に人々に呼びかけますが、急ぎ足のオジサンにぶつかり、履いていた靴が脱げてしまいました。

「あ、靴が!お母様に貰った大切な靴なのに…」

その靴は、少女の母親が亡くなる前に 少女に作ってくれた大切な靴です。

少女は靴を無我夢中で探しますが、大勢の人の行き交う足に蹴られて 踏みつけられて、とうとう、どこに行ったのか分からなくなってしまいました。

裸足で雪の上を歩き回り、泣きながら地面を這いずり、少女は悲しみのあまり、そこから動けなくなってしまいました。

「マッチを・・・誰か、マッチを買ってください・・・寒い・・・」

あいかわらずマッチは売れず、少女の身体は寒さに凍えてしまいます。

そんなとき、ふと顔をあげると目の前に暖かそうな灯りが窓から漏れているのが見えました。

幸せの形「マッチ売りの少女」2

誘われるように中を覗くと、そこには 暖かそうな暖炉の火と、いっぱいのごちそう、たくさんのプレゼントを手にした子供が家族で笑いあっています。

「まあ、なんて暖かそうなお部屋。それに あんなに大きなケーキ。おいしそうなチキン・・・」

少女は、夢のような光景にうっとりと目を閉じました。

「そうだ、マッチを点けたら暖まれるかしら?1本だけ・・・」

シュッ・・・。

少女がマッチを1本点けると、そこに美味しそうなチキンが現れました。

「まあ・・・」

でも、少女が手を伸ばすとチキンは あっという間に無くなってしまいます。

「もう1本・・・」

シュッ・・・。

今度は大きなケーキが現れます。

そしてまた手を伸ばすと、またたくまにケーキは消えてしまいます。

シュッ・・・シュッ・・・。

少女は次々とマッチを擦ります。

そして、その度に灯りの中に、食べ物やオモチャが現れては消えていくのです。

「もっとマッチを・・・」

気がつくとマッチは、あと1本しかありません。

「これが最後・・・」

少女は残りのマッチに火を点け、そっと手をかざしてみました。

するとそこには・・・「おばあちゃん?」

もうずいぶん前に亡くなった、優しくて大好きなおばあちゃんの笑顔が、そこにはありました。

「あ、待って!おばあちゃん、私も連れていって!」

すぐに消えてしまいそうな灯りの中のおばあちゃんに、少女は呼び掛けます。

「おばあちゃん!」

幸せの形「マッチ売りの少女」3

・・・次の日の朝。

街の人々は 寒そうに体を縮めながら、マッチを握りしめた少女が冷たくなっているのを見つけました。

「かわいそうに・・・マッチで暖まろうとしたんだね」

街の人々は口々に そう言いあいました。

「でも、見てごらん。あの安らかな顔・・・まるで眠っているようじゃないか」

「きっと、いい夢を見ながら逝ったんだろうぜ」

「そうだといいけどね・・・」

微笑むように死んでいる少女の顔に、雪がふわふわと舞いました…。

こんな感じのストーリーだったと思います。

私は初めて、その物語を読んだとき、正直、少女の微笑みの意味が全く理解できませんでした。

あんなに酷い目にあわせる父親を恨みもせず、見て見ぬふりをして足早に遠ざかる街の人々を憎む気持ちが欠片もなかったのかと・・・。

私ならきっと、そんな世の中の不条理さに怒り、悲しみ、一番の元凶の父親を罵りまくることでしょう!!(失礼しました。言い過ぎました)

けれど少女は、そんな感情は微塵も見せません。

それは、少女がバカがつくほどお人好しだからではありません。

素直な性格は認めますが、人である以上・・・いえ、生き物である以上、そこまでの悪条件にさらされて、何の悪意も持たない方がおかしいのです。

では、なぜ少女は、あの状況にも関わらず微笑んでいられたのでしょうか?

それは、「少女の心の在り方」にあると、私は思います。

幸せの形「マッチ売りの少女」4

人は、それぞれの幸せを求め、それに向かって努力します。

ただ、幸せの形というのは 個々によって違うものです。

他人から見て どんなに荒んだ暮らしでも、本人が それを良しとするなら、それはその人にとっての幸せの形です。

自分で描く幸せの形は、他人によって決められるものではないのです。

確かに あの時、少女は過酷な環境の中で絶望にうちひしがれていたでしょう。

しかし、あの過酷な環境だったからこそ、少女は マッチの中の灯りに、小さな幸せを見い出し、癒されたのです。

本当の幸せは 意外に近く、ともすれば見落としてしまいそうな小さな場所に隠れています。

それは、誰かの心の中かもしれないし、代わり映えのない、毎日の生活の中かもしれません。

誰かと喧嘩して泣きそうになった日、仲直りをして解りあえた瞬間、心が暖かくなりませんでしたか?
何もかもが上手く行かないと嘆いた日、何気ない一言に温もりを感じませんでしたか?

それは、最低な気分を味わったからこそ気づけた幸せです。
他人を羨むよりも、もっと自分の回りに目を凝らしてみましょう。

今まで気づかずに過ごしてきた日々こそが、案外、幸せだったりするものです。
諦めて投げ出してしまうより、幸せに1歩、近づくために、ほんの少し努力をしてみましょう。

捨てる神あれば拾う神あり。
世の中、まだまだ棄てたものではありません。

後ろ向きで生きるより、前向きに生きる方が 世界も変わって見えるものです。

私も、下を向かずに歩いていこうと思います。
幸せは、自分のすぐ近くにあると、気付けたのですから・・・。