今回は「自分らしさ」について。

例えば誰かに「あなたらしさとは何ですか?」と尋ねられて、即答出来る人が、果たしてどれだけいるでしょうか?

普段から、自分らしさについて考え、そのように振る舞おうと努力している人なら別ですが、大抵の人はいきなりそう尋ねられても、口ごもってしまうものではないでしょうか?

では、自分らしさとは何でしょう?

心理学的には「個性化」と呼びますが、簡単に纏めると、自分の目指す自分に向かって突き進むこと、誰の代わりでもない、揺るぎない自分であること。

完全なるオリジナルな自分、になるということです。

では、1つ例を挙げてみましょう。

「カエルの王子さま」

以降は、私なりの解釈です・・・。

このお話は、グリム童話の1つですが、ご存じの方も多いと思います。

ですが、強烈なキャラクターという素材のせいか、あまり子供には人気は出なかったように思います。

頭に冠を載せたカエルのモチーフは、アクセサリーやワインにも使われていますよね。
ちなみに私は、カエルが苦手です(汗)
念のため…(笑)

自分らしさ「カエルの王子さま」2

では、「カエルの王子さま」のあらすじです。

ある日、幼い王女さまが、お城の中で遊ぶのに飽きて森へ出掛けます。
森の中でボール遊びをしているうちに、ボールを大きな池の中に落としてしまいました。

ボールがお気に入りだった王女さまは、悲しんで大声で泣き出します。
しばらくすると、どこからか声がしました。

ふと足元を見ると、そこにいたのは小さなカエル。
カエルは、王女さまに話しかけました。

「王女さま、王女さま。何をそんなに泣いているのですか?」

王女さまは、驚きながらもカエルに全てを話しました。
それを聞いたカエルは、こう言います。

「わかりました、王女さま。私が そのボールを取って参りましょう。そうしたら、私を王女さまのお友だちにしてください。」

内心では、気味の悪いカエルに、そんな約束をさせられ、いい気分のしなかった王女さまですが、ボールを拾ってくれるなら、と渋々うなずきました。

見事、カエルはボールを取ってきて、得意気に王女さまに見せました。

「さあ、王女さまの肩にのせてください。お城まで連れていってくださいますね?」

カエルにそう言われ、ゾッとした王女さまは、カエルと約束をしたにも関わらず、カエルを置き去りにして、走って帰ってしまいました。

自分らしさ「カエルの王子さま」3

お城に着いて、しばらくすると、先ほどのカエルがピョンピョン跳ねて、お城の窓から飛び込んできました。

「酷いじゃないですか、王女さま。今夜は王女さまと同じベットで眠らせてもらいますからね!」

王女さまは嫌々ながらも約束したのだから、と仕方なく、カエルと共に夕食を食べ、一緒のベットで眠りました。

夜中に耐えきれなくなった王女さまは、カエルを掴んで思い切り壁に叩きつけます。
そこで魔法は解け、カエルは王子様に姿を変えるのです。

ここまでがストーリーの大筋です。

カエルは、王女さまのキスで目覚めるとされているものもあるようですが、原作はこちらの方でまとめられているみたいです。

その後はご想像通り、王女さまと王子様が結婚して、ハッピーエンド。

ストーリーもいろいろ語り継がれていて「カエルの王様」や「鉄のハインリッヒ」というタイトルで語られているものもあるようです。

そしてこの物語のテーマこそが、すばり「自分らしさ」です。

カエルは、心理学的には 「詮索好きや好奇心の象徴」「再生・復活」などと意味付けられますが、姿形から、そのまま「虚栄心や猜疑心の象徴」とも言われます。

そして、この物語の中の王女さまが落としたボールこそが、まさに王女さまの「自分らしさの象徴」であり、カエルは「自分の中のいやらしい心」そのものです。

自分らしさ「カエルの王子さま」4

「自分らしさの象徴」であるボールは、王女さまにとって、ただのボールではありません。
王女さまにとっては、絶対に無くしたくないものです。

そしてカエルは「自分の中の醜くていやらしい心の象徴」ですから、当然、王女さまはカエルを嫌い、遠ざけようとします。

ですが、完全には拒絶しきれません。

最後には癇癪を起こし「カエル=自分の中の醜い心」を壊そうとしますが、それも叶いません。

諦めから落胆し、悲しみにうちひしがれた時に魔法は解けて、王女さまの心に光が差し込みます。

その瞬間こそ、王女さまが「自分の中の醜い心」を認め、受け入れ、統合した瞬間です。

「自分らしさ」とは、綺麗事ばかりではありません。
「自分という人格」を認めることから始まるのかもしれません。

まずは気付くこと、そして全ての自分を認め、愛してあげること。

そして満たされ、人は「自分らしさを確立」するのです。

一度、自分の殻を破り、本当の自分を知ることから、新しい何かが始まるのかもしれません。